先日書いた堀宮の244「女の子」
間違いなく私に布教されたのであろう友人たちのブログやメルフォで
「同じく共感した」
と書かれていて、同じ思いをしてきた子って結構いっぱいいるんだ、
となんだか切なくも嬉しくなりました。
一人一人にコメントつけに行こうかとも思いましたが、独りよがりな文章になりそうなので、私があれを読んで感じたことを以下につらつらと書いてみたいと思います。
よく「泣けばすむと思ってる」とか「すぐ泣く子はずるい」
って言われますが、
確かに、「泣いちゃったもの勝ち」って場面もあるとは思います。
それを有効に使ってくる子も存在するとは思います。
でも、泣くことで得られるものって
まわりからの同情半分反感半分だと思うのです。
特に女の子の場合、同性相手には同情1%反感99%です。
そして、泣かせた相手にとっては「反感」100%なんじゃないかと思います。
泣いたときに堀さんのように対応してくれる人がいたとしたら、その人は幸せです。
意図せず流れる涙ほど屈辱的なことはないです。
反論したくてもしゃべると泣いちゃうから黙ってしまう。
でも結局泣いちゃう。
そんなときに「ほら泣けばすむと思ってる」とか
「泣くのはずるい」とか言われちゃうとどうしていいか分からないんですよね。
「ずるい」ことは、言われなくても、泣いた本人が一番よく分かっているんです。
今から12,3年前の話しです。
私には2歳年上の姉がいますが、姉は本当に口が達者で、口喧嘩では勝ったためしがありません。
姉が言ってることは絶対正しくない、と思っていても、絶対間違ってると証明することが出来ず、反論しても反論しても言い負かされて、仕舞いには何も言えなくなって泣いてしまうわけですが、その時姉に「ずるい」と言われたのがずっと心の傷になってました。
「妹はずるい。そうやって泣けばお母さんが味方になってくれるんだから」と。
私にもプライドがありますから、今までだって泣かされても母に泣きついたことはなかったのに、姉にそう言われて以来、友達の前ではもちろん、家族の前でも泣けなくなりました。泣きたい時はいつも仮病を使って布団にくるまるようになりました。
12,3歳にして「泣いたら負けだ」と心に強く刷り込まれました。
姉は強い人なので、弱い私には分からない、それこそ「分かってもらえない」思いってものがあったのかもしれません。
でも、私の気持ちを決めつけられたのがすごく悲しくって悔しくって、
そういうものが積み重なって、姉に対していまだに素直になれないのかな、と思います。
でも、堀宮の「女の子」を読んで、はじめて救われた気がしました。
私が欲しかったのはこれだったんだ、と。
どんなに言葉を連ねても、分かる人にしか分からないと思うのですが、
それでも、分かる人がいるんだ
それが分かっただけで、救われました。
そして、思い出したのが221「強い人」です。
「強い人なんてこの世にいない」
「みんな見えないところで嗚咽をもらしていると思う」
姉は、もしかして、こっちに共感してしまう人だったのかもしれない、と思いました。
私が知らないところで、姉も必死で何かと戦ってたのかもしれない、と。
この221は初めて読んだとき「なるほどなあ」と思いつつも「そんなもんか」程度にしか思ってませんでしたが、私が「女の子」に救われたように、221「強い人」に救われた人もいるんだろうな、と今は思います。
弱い人の気持ちも、強い人の気持ちも代弁してくれる、この作品に、出会えてよかったです。本当に心からそう思います。
◆私信もどきの追記◆
しえさんメルフォありがとうございます。
しえさんの言葉には本当に泣かされっぱなしです(もちろんいい意味で)
「姉視点」のしえさんの言葉、とても興味深かったです。
私もそのうち姉と腹割って話した方がいいかもと、改めて思いました。
多分私が言いたいことあるのと同じくらい、姉も私にいいたいことがあると思うので。
ただ、一つ、↑の「意図せず流れる涙ほど屈辱的なことはない」で言いたかったのは
「意図してないのに意図してると思われてしまう涙は悔しいし、損だ」ということです。
泣いても許してくれる人がいるというのは幸せなことなんだな
と当たり前なようで、当たり前じゃないことをしみじみと考えさせられた次第であります。
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